【悲報】首里城焼失

早朝に首里城正殿から出火した火災は、正殿、南殿、北殿と言う御庭(うなー)を囲む主要建造物を全焼させた模様。付近の住宅地には被害がないと言うことは不幸中の幸いではあるが・・・。

東京で家族からのメッセージで火災を知り、慌てて点けたテレビで映し出された映像は、燃え上がる首里城正殿。「信じられない」と言うのが正しい表現。さらに「見たくない」と言う気持ちもあり、早々にテレビの前を離れた。

お見舞いのメッセージが届き、ネットのニュースが報じる情報から紛れもない事実であることを認識するが、やはり受け入れられない。

(全ての人がそうであるとは言わないが)首里住人(「すいんちゅ」)である自分にとって、首里城には特別な思いがある。中学、高校時代は「琉球大学」であったそこで大学時代の約半分を過ごし、そして「首里城」になった場所。たしか公開開始当日は「すいんちゅとして行かねばならない」と意味不明な責任感から長時間並んだ。また、「テンペスト」に魅了されたあとは、年間パスポートを購入して何度も足を運び、季節ごとの行事(イベント)にはできるだけ足を運んだ。もちろん、何の目的もなく散歩がてらでも。

そんな場所が突然なくなってしまった・・・。ただただ、悲しいと言う他ない。

今は、テレビでもネットであっても、このニュース、特に映像、画像は見たくない。目を背けたい、事実を受け入れたくないと言う心情。

全く受け入れることはできていないが、まずは週末に「現場」に行ってみようと思う。そして、また美しい正殿を見ることができる日を首を長くして待つことにしようと思う。

【読書】「白い巨塔」山崎豊子(2019-10)

医学界の闇にメスを入れた山崎豊子の名作のひとつ「白い巨塔」を4度目?の読了!

高校時代に田宮二郎演じる主人公(財前五郎)に惹かれて読んでから、何度か読み返しています。今回は岡田准一が主演したドラマを観て急に読みたくなり、本棚から引っ張り出しました。

しかし、何度読んでも良い作品は面白い。全体のストーリーは頭に入っているにも関わらず、新たな発見や感動を覚えながら読み進められる。全5卷の長作を何度目かの読書にも関わらず、しっかりと楽しみながら、山崎ワールド(と言うか「白い巨塔ワールド」)にどっぷりと浸かりこみました。

何度読んでも、頭の中に出てくる財前五郎のイメージはやはり田宮二郎ですね。親友でライバルである里見は田宮財前のときに演じた山本學ではなく、前回の唐沢寿明が財前を演じたときの江口洋介かな。あと、前任教授の東は同じく唐沢財前にときの石坂浩二。あと、個人的には品川徹(大河内教授)、上村香子(里見の妻)、島田陽子(東佐枝子)も適役だったかと。

良い作品は何度読んでも面白い、と言うことで「白い巨塔」は数年後にまた読んでいるんだろうな・・・。医学が進歩し、作品で描かれた病気は治療可能になっていたとしても、人間は変わることなく、きっと「白い巨塔」はそのままなんだろうな・・・と。

さて、次はテレビの再放送を観てしまい、思わず手にとった浅田次郎の名作のひとつ「蒼穹の昴」・・・にしようかと思いましたが、重い作品が続くのもなんだなぁ・・・と、ちょっと軽い作品にしてみました。なにせ、「珍妃の井戸」「草原の虹」そして「マンチュリアン・レポート」と続いちゃいますから・・・笑

那覇空港の一般車乗降について

隔週な感じで江戸上りするので、空港の利用頻度もそれなりの回数になっている。ゆいレールを利用することもあれば、送迎してもらうこともあるのだが・・・

那覇空港における国内線ビル前の乗降場の配置見直しについてhttps://www.pref.okinawa.jp/site/kikaku/kotsu/kokyokotsu/h30jyoukoujyouminaoshi.html

・・・は、どうかと思う。

おかげで最近は送迎してもらう際には到着(1F)ではなく、出発(3F)を利用しているのだけど、発想を同じくする車両で混雑するうえ、そこにもレンタカー配送の駐車が目立つ。そもそも、駐車場の無料時間が30分と言うのは短すぎませんかね。到着遅れや荷物待ちの時間を考慮してもらい、せめて1時間は欲しいところ。そしたら、多くの人が駐車場を利用するのでは?それと、レンタカーは1Fなんだから厳しく取り締まってよ!

観光立県と言うことでレンタカー優遇とは理解しているが、ケンミンにも優しくして欲しいところ。駐車場の一角をレンタカー受け渡し専用に割り当てるとか、ケンミン用送迎ゾーン(乗降のための停車のみで駐車は禁止)を作るなど、共存するためにできることをやって欲しいな・・・と。

ちなみに、東京からの最終便で到着したら3Fの出発フロアはクローズしているので、1Fで迎えてもらうしかないのよね・・・涙

【備忘録】家を建てたぞー(5)新生活スタート

2016年から始まった建て直しプロジェクトも、2018年8月5日(日・大安)の仮住まいからの引越をもって無事終了!

引越当日は大きな混乱も問題もなくスムーズに終了した。まぁ、今回は2018年2月の解体工事から建築期間や引越当日を含め、全般に天候に恵まれた。おかげで工期は延びるどころか前倒しとなり、少し遅れていた外構工事を含め、無事全ての工事を終えて旧盆を迎えることができた。亡父をはじめとする仏壇のご先祖様にも喜んでもらえたかな?(笑)

ただ、新築に加え、冷蔵庫と洗濯機以外の家電やソファーなども新調したので見慣れないモノに溢れ、全く「我が家」感はないが、それでも大仕事をやり遂げた達成感は大きい。それにしても、とっても疲れたぁーーー、と正直な感想(笑)

新居は広々として希望通り明るく風通しの良い家になっている。多少、「おやっ」と思う部分はあるものの、細部もそれなりに満足できるレベル。イシカワの施工は満点とはいかないまでも、十分な及第点をつけられるかと。「任せてよかった」と思えるレベル。まぁ、敢えてマイナス点をつけるとすると

  • 1Fの掃出しの外側に電源がないこと
  • 脱衣所に扇風機用の電源がないこと

かな。んっ、これって設計の問題で、俺じゃん!(汗&笑)

2007年5月から軸足を県外に生活してきたが、11年振りに沖縄に戻せる。まぁ、これからも東京通いは続くが、ホームグランドに軸足があると言うのは落ち着く。朝、カーテンと窓を開けて庭を眺め、ソファに腰掛けて風を感じながらゆったりと髭剃りすることが日課で、以前のようなジメジメや水道チョロチョロもなくなった我が家は快適。まぁ、ちいとばかり早いが、これで老後も気持ちよく暮らせそうだな・・・と、余計なことも考えたりして(汗)

自身、通算15回目の引越で東京から沖縄に戻った。これで引越することがない(であろう)ことが一番嬉しいかも・・・汗。

・・・と言うことで、記録と記憶を頼りの備忘録なのでありました。ちなみに、入居から約1年経過した現在も、変わらず快適に生活しています(笑)

【備忘録】家を建てたぞー(4)あれよあれよ・・・

無事、2018年3月10日(土・大安)に地鎮祭・起工式を終え、いよいよ建築工事がスタートした。

相変わらず、月に1度の出張なのでイシカワから送られてくる毎週の現場写真を見ながら進捗を見守る。

RC造の場合には、重機が入る大げさな基礎工事があるのだが、木造だと(写真を見る限り)地面に張った型枠にコンクリートを流し込むだけ(ベタ基礎)。そのため、2週間くらいで基礎工事が終わり、木材を組んだ柱が立って行く。起工式から約1ヶ月後の4月18日に現場に入った際には、すでに1階部分の柱が立ち上がっていた(驚)。

当初予定だと、4月18日に棟上げを予定していたのだが、天候の影響で翌日(4月19日)に順延となった。当日は予定が調整できず、立ち会えなかったのは残念だったが、天気悪い中に強行して問題を起こす必要もないであろうと。しゃーないですな。まっ、施主が希望しない限り、棟上式らしい儀式もないようだし、「最近は何もしない方が多いですよ」と言う担当営業の言葉に安心し、イシカワにお任せしたのでした。

4月24日に現場に入ると、きちんと棟上げも終わっていて屋根だけではなく、壁もついていた。もちろん、瓦やボードはなく、木材のベース部分だけですが。すっかりと家の形になり、それぞれの部屋の場所や形もわかるようになっていた。平面図で見た「我が家」が現実に建っている。思ったほどの感動はなかったが、「ここまできたんだなぁ・・」とホッとした記憶が・・・。

その後、5月19日にはサッシも入り、外壁も貼られ、いよいよ完成が近づいた事を感じる。玄関ドアも取り付けられ、階段で2階にも上がれるようになった。わくわく・・・・。

6月15日にはキッチン、バス、トイレ設備も取り付けられ、クロスも完了している。あとは微調整と片付けか。もう、工事現場ではなく、生活できる空間になった感じ。もう一息!

引き渡しは7月8日(日・大安)と決まったが、実はここからもう一仕事の外構工事が始まるので、もろもろの調整が始まる。

すでに、イシカワに紹介してもらった外構業者とデザインや見積は固まっていたので、あとは詳細の確認とスケジュール調整。入居日を8月5日(日・大安)と定めて、そこからスケジュールを逆算。最終的な完成は8月23日〜25日の旧盆に間に合ってくれればOKと言うことにした。

いよいよ引き渡し・・・と言っても何かの儀式があるわけでもなく、図面などの書類を受け取り、サインしただけ。ただ、玄関の鍵が工事用と正式版の2種類あるのにはびっくり!ドアに正式版の鍵を差し込んだところで、工事用は使えなくなるとな。

引き渡してもらって、電気や水道も自由に使えるようになったが、塀や門もついておらず、そもそも引越も終わっていないので、完成したと言う実感は湧かない。とりあえずの区切りと言う感じ。

ちなみに、この頃までにエアコン取り付け下見やら、必要家電、カーテンや必要家具の調達、引越しの手配を進める。慌ただしかったのは間違いないが、着工前に比べると楽なもの。まぁ、財布は一気に軽くなっちゃいましたがね・・・笑

ちなみに、引越しは母が仮住まいするアパートと、私が住まう東京からの2方向から。アパートには持ち込まれたままのダンボールが積み上げられている状態なので、荷造りに大した手間はかからないが、東京のほうは・・・結構大変でした。段ボールで50箱ほどの荷物を新居に向けて送ったのでした。

入居直前の8月2日。この日は大変でした。エアコン取り付け、家具、家電搬入、東京で送った段ボール受け取りだけではなく、電動ドライバー片手に自分でカーテンやブラインド取り付け工事やテレビやオーディオ設置を行っていたので、一日中バタバタしていました。さらに(なぜか)夜は宴会・・・。まぁ、それでもどうにか生活できる環境が整ったのでありました。あとは、アパートからの荷物を待つばかり。

ちなみに外構は7月の豪雨の影響でアルミ製品の資材運搬が遅れてしまい、門扉もなくブロックだけの塀と言う状態でした。まぁ、囲われているだけでもヨシと言うことにしました。自然災害なんで仕方ないですからね。

8月5日(日・大安)はいよいよ引越し日。アパートからの荷物を受け取り、配置する。ようやく生活できるようになります。

つづく

【読書】「オリジン」ダン・ブラウン(2019-09)

次の本を探しているとネットで「オリジン」がオススメされた。実は・・・「インフェルノ」の次作が出ているのを知りませんでした(汗)

確か、「ロストシンボル」を読み終えて、映画の公開を待っていたら、突然「インフェルノ」の上映情報が飛び込んできて焦った記憶があります。そのときは、止む無く映画を観た後に原作を読んだのですが・・・。まぁ、そのときも最新作情報をキャッチできていなかったわけですが・・・汗。

本作も宗教を背景で、スペインが舞台です。作品の展開とは別で、サグラダ・ファミリアには行ってみたくなりました。(何年かかるかわからないけど)積立するぞーーー!(汗)

さて、宗教vs科学の構図のもとで描かれているのは「我々はどこから来て、どこへ行くのか?」と言う永遠のテーマで、宗教としての解釈(神が作り、神の元へ行く)と科学(ダーウィンの進化論など)との対立です。まぁ、生命の起源については完全な立証は難しいとしても、「見えざる力により創造された」と言う説明はそろそろ受け入れづらいかな?と個人的には感じています。

ただ、私自身は全てを科学で証明し、宗教(神)を否定する無神論者でもなく、主人公のラングドン教授の考え方に賛同できました。特定の宗教を崇拝することはありませんが、世の中にある全ての事象が科学で解明されるにはもう少し時間がかかりそうですので、「見えない力」の存在を否定せずにおきたいと思います。

ダン・ブラウンの作品は世界規模のスケールと時間軸がダイナミックに動き回るため、何度かページを戻しながら読み進めると言うスタイルは本作も一緒でした。ただ、展開(ラストのオチ)については、ある程度予想できたものだったので、ハラハラ感は少なかったかな?です。

先週は岡田准一主演の「白い巨塔」を見て、久しぶりに読みたくなり、本棚を探したのですが・・・なぜか無い。山崎豊子の他の作品は揃っているのに、大好きなこの作品がない・・・。こうなると悔しいので、メルカリで探して購入しました(涙)

と言うわけで、次作は「白い巨塔」だぁーーー!

【備忘録】家を建てたぞー(3)着工前が大変・・・

2017年11月に入り、入居日を旧盆(2018年8月25日)前にセットし、逆算して着工を2018年2月下旬から3月上旬と言うことになった。

そうなると、現在の建物を解体し、着工前までに「更地」にしておく必要がある。解体には約1ヶ月程度を要するとのことなので、1月下旬から2月上旬には始めないといけない。と言うことは、それまでにどこかに引っ越して、建物を空っぽにせんといかん、です。

まずは、解体業者探しだが、これも特段のツテやアテがなかったので、イシカワに紹介してもらうことにして、あとは、建築中の仮住まい探し。母一人が暮らすスペース以外にも、家具や衣類、その他新居に持ち込むものなどを置いておくスペースが必要なので、1LDKアパート+倉庫で探してみたが、だいぶ費用が嵩むことが判明し、倉庫スペース兼用で3LDKに条件変更。

以前にお世話になった不動産屋に相談してみるが、なかなか良い物件が出てこないまま時間はすすむ・・・気がつけば2017年も残りわずかとなった12月下旬。やばくね・・・と焦り始めたところで、どうにか条件を満足する物件が出てきた。ここも出張時に慌ただしく下見したうえで契約。時間がなかったので下見NGでも契約するしかないと腹を括っていたのですが、大きな問題もなく契約完了!と言うことでぎりぎりセーフ!

年が明けた2018年1月から仮住まいとなるアパートに入居できたので、母と弟で当面必要となる家具や生活用品を少しずつ持ち込み二重生活状態が始まったのでした。母はアパート住まいの経験がなく、新しい生活環境に大喜び。さらに、普通の水回りや、ジメジメしない部屋にも満足していたので、よかったかな・・・と。

さて、続いては引越しの手配と解体の手配。またもや出張時に業者を来てもらい、見積もりを出してもらう。まぁ、引越しのほうは条件と金額交渉のみだったのだが、イシカワに紹介してもらった解体業者は「建物が空っぽの状態が前提」の見積が出てきた。正直、使わないもの(家具や家電、衣類、食器など)は放置しておけば解体業者がどうにかしてくれるものと甘く考えていたので、「青天の霹靂」状態・・・涙。

そうなると、廃棄する家具やら古着、布団などなどの「ゴミ」の処分を考えないといけない。さすがに50年生活してきたので「ゴミ」の量は半端じゃない。慌てて処分業者などに片っ端に声をかけて下見してもらうが、結構な金額となるうえ、あれはダメ、これもダメと条件が面倒くさい。

止む無く解体業者に再度声がけして、解体費用に多少の金額を上乗せして、自身で処分できないゴミの片付けを含めた作業をお願いした。まぁ、「無理やりにやってもらうことにした」と言うのが正しいかと・・・汗

2日間の有給休暇を含めて10日間の沖縄滞在期間は引越準備とゴミ掃除に終われる毎日。もちろん、日中は仕事なんで平日夜と週末だけでの対応。これ、ほんと大変でした。必要そうなものを手当たり次第にダンボールに詰め込む。さらに、粗大ゴミ回収手配に加え、電気、水道、ガス、電話の停止手続きも並行してやりました。

で、気がつけば現在は塀の前、新築後には駐車場の出入り口となる場所に良くわからない鉄柱(ポール)がある。我が家の電力ケーブルしか架かっていないし、このままじゃ車の出し入れの邪魔になるじゃん!と言うことで、これの撤去手配も。

電力ケーブルが架かっていたので、まずは沖縄電力に相談したら、数日後にケーブルが消えたうえ「NTTさんの電柱では?」との回答。NTTは「電力さんでは?」・・・「電力からはNTTさんと言われた」と伝えたら、今度は「役所では?」と。うーーーん、どうでもいいがこっちには時間がないんだよーー。

結局、那覇市役所に相談したところ、過去に難視聴対策で建てた鉄柱であることが判明し、後日無事撤去してもらえました。しかし、電力の対応はすごいよなーーー。無許可で鉄柱使っていたうえに、指摘されるとコソコソと片付けてるし・・・・。

(話を戻し)引越当日は「力づくで荷物を出した」と言う感じ。パンダマークのダンボールに荷物を詰め込んでガムテーブで閉じた横からトラックに運び込むと言う有様・・・ごめんなさい・・・でも、ほんと助かりました >パンダマークさん

荷物を出した後は、解体のための片付け。持ち出し忘れの荷物と廃棄品を選別しつつ、ゴミの分別を行う。これ、結構大変。途中、意識朦朧となりながら作業を続け、引越しの翌日にはゴミを車に詰め込んでゴミ処理場まで運び、3〜4回捨てたのだが、大量のゴミは残ったまま・・・。最終現場を下見に来た解体業者からは「ここまで片付けたのなら、あとはどうにかするさー」と男前なコメントをいただき、涙したのでありました。 感謝してます >解体業者さん

その後、解体作業は2018年3月8日に完了し、無事3月10日の地鎮祭を迎えることができました。

多くの人の協力もあり、どうにか着工準備が整ったのでありました。感謝!感謝です!

 

 

【備忘録】家を建てたぞー(2)手続きあれこれ

株式会社イシカワ(イシカワ)で自宅を建てることを決めたあとは、当たり前ながら資金調達の手続き。所謂「住宅ローン」選びですな。

設計途中ながら、大まかな費用感はわかっていたので、まずはネットで情報収集。ふむふむ、基本的にはネット銀行のほうが条件が良いのね。と言うわけでカタログ取り寄せて内容を確認してみると、ネット銀行だと新築(建築)で必要となる「つなぎ融資」制度がない・・・どうやらマンションなどのマイホーム「購入」がターゲットらしいことがわかったので、銀行の商品に切り替えて検討。

色々検討した結果、もともと付き合いのある地元のR銀行に相談することにした。まぁ、条件はそれほど良くはないが、そもそもが低金利時代なので金額的に大きな差にはならず、総合的に判断してヨシとした(汗)。

まぁ、年齢が年齢なので審査結果が出るまではドキドキしたが、どうにか無事OKとなり、2017年10月にイシカワと正式契約を取り交わし、本格的な設計作業が始まったのでした(希望額が制限枠いっぱいだったことは内緒・・・汗)。

しかし、R銀行の沖縄と東京支店での対応は丁寧さやスピード感において大きな差があり、東京での申請はほんとスムーズ。本契約からは沖縄で対応してもらったが、毎回「イラっ」と・・・。うーん、何なんでしょうねぇ・・・涙。

資金の目処がついたところで、次は土地の名義変更。実は、当の土地、建物は亡父の名義だったので、これを変更しないと着工できないと言うもの。10年以上手続きを放置していたが、相続人は母、弟、私の3名だったので、特に問題なく司法書士の指示に従い、こちらも無事1ヶ月程で完了!しかし、土地を買ったわけでもないのに、登記簿の名義が自分になっているのは妙な感じ・・・。まっ、家族仲がよかったのが一番の幸いだったかな・・・笑

各種手続きに並行して、設計作業のため出張の際にイシカワの事務所(モデルハウス)に出向き、間取りの詳細を詰めたり、内外の材料や色を選定したり、コンセント位置決めたりとバタバタ状態。結果的に細かい部分はお任せ状態で、拘りたい部分に絞って調整を行い、あとはメールで送ってもらう図面などで確認、と言う感じでした。まぁ、イシカワのセンスを信じられたからこその作業でした。改めて「イシカワにして良かったなぁ・・・」でした。

つづく

【備忘録】家を建てたぞー(1)まずは業者選びから

2018年8月に入居してから約1年になるので今更「備忘録」でもないが、すっかり忘れてしまう前に記憶を記録しておこうかと・・・汗

当時の我が家は築50年のコンクリート2階建住宅で、手入れも行き届いていなかったせいもあり、痛みが激しかった。特に水回りが酷く、水圧の弱い蛇口からは(水道管の錆で)赤みがかった水がチョロチョロと流れ出る程度。さらに床下は土間だったので、雨が続くと部屋中がジメジメして、風通しの悪い押入れはカビだらけになると言う始末。まぁ、「快適」とは程遠い環境でした。

そんな中、色々な事情と都合があり、「立て直すべ〜」と言うことになりました(詳細は省略・・・汗)。

残っている記憶と記録によると、2016年3月ごろからモデルハウスなどを回っている。ただ、この時点では「木造で建てる」と決めていたようなので、その前から情報収集を行っていたんだろうな・・・。確か、RC造に比べて単価も安い上に工期も短いと言うコスト面で木造に決めたはず。また、県外生活が長かったので、木造住宅を見慣れており、逆に「おしゃれ」と感じていたので、特に抵抗感はなかったのかな?

また、当時は東京暮らしだったので、細かな部分をある程度任せられる(と判断できる)業者を選ぼうと、メーカーに絞り込んだはず(汗)。

メールを確認すると、2017年の6〜8月には絞り込んだ複数の業者と連絡を取り、モデルプランを提案してもらっている。もちろん、全て木造住宅。当時は月に1週間程度の沖縄滞在だったので、直接会って打ち合わせができたのは週末の限られた時間しかなく、メールでのやりとりがメイン。おかげで、記録としてやりとりを残すことができているので、こうして薄れゆく記憶を補完しながら備忘録を作れると言うおまけもつきました(笑)

2017年8月に新潟本社の株式会社イシカワを業者として選定し、設計作業に着手している。ここに決めた大きな理由は「プレゼン資料が綺麗で分かりやすく、間取りや外観がイメージと近かった」から。また、メールにも細かく対応してくれたこともポイントが高かった。対抗の沖縄地場業者のT社は丁寧に対応してくれはしたが、手作り感満載なプレゼン資料だったので、見劣ってしまったのが残念。あと、TVCMで有名なI社は結果的に高評価なプレゼンを用意してくれたが、すでに業者決定した後の提示だったのが残念・・・・でした。

ちなみに、3社とも全体の金額はほぼ変わらず、標準の設備内容とかも似たり寄ったりでした。結果的には担当営業の対応力の差だったかなと言う感じ。

全体の間取りはイメージとして固まっていたので、キッチンとバス、トイレの水回りの設備検討に多くの時間を割り当てた。タカラ、TOTO、LIXIL、クリナップを候補に沖縄と東京でショールームに何度も足を運び、予算とにらめっこしながらの製品選定。まぁ、結構疲れたけど、思い起こせば楽しかったかな?

間取りを考えるうえで、最も重要視したのは「光(採光)と風(通風)」。敷地は南向きだが、残る3方向は住宅が隣接しているため、南からの光と風を遮らないことを最も注意した。まぁ、50年の間に何度か増築と改修を行い、実際に住み心地の変化を感じてきたので「こうあるべき」と言うゴールとなる間取りをイメージするのはそれほど難しくなかったかな。

つづく・・・

blogの引っ越し(ようやく終わり?)

IDCFの個人向けレンタルサーバーのサービス終了により、今年1月に止むを得ずさくらインターネット(さくら)に引っ越した。wordpressのエクスポート/インポートを使えば特に問題なく引っ越すことができるのはwordpress.com→IDCFの自作サイトで経験済みだったので心配していなかったのだが・・・・。

昨年暮れの時点でIDCFでエクスポートしたデータを使ってさくらでインポートしてみる。エラーもなく終わり、まずは問題なさそう。しかし、後日よく確認すると一部の写真(メディア)がない・・・・。

まぢかぁーーーー!と言うことで再度インポートを行ってみると今後はエラーが出た。さらに、まぢかぁーーーー!と何度か同じことをやってみたり、wordpressそのものを作り直したりもしてみたが、結果は変わらず(涙)ちなみに、wordpress.comからのインポートでも一緒な状態。

最終手段としてOSの再インストールをさくらに依頼し、まっさらな状態に戻してみたところ、どうにかエラーは出なくなったが、写真が復元されていない状況は同じ。

さくらのサービスは全てメニュー操作のため、何ができていて何がダメなのか(素人には)わからず、先に進めない状態になった。加入1ヶ月弱で他社サービスへの乗り換えも考えたが、男前に1年分一括払いしちゃったので、さくらに留まって手動でデータを復元することにした。

まずは、記事そのものの欠落がないかどうか、wordpress.comとmixiのバックアップと比較してみると・・・残念ながら、数は多くないが、行方不明記事があることが判明した(涙)

さらに、復元できない写真のほとんどがmixi日記のものであることが判明。wordpress関連サイトで確認すると、データ容量の小さい写真だと発生するエラーのようだ。対応方法も例示されていたので、さくらのメニューでwordpressのソースを修正してみたが結果は同じだったので、mixi日記のバックアップから写真をダウンロードして対応。まぁ、多くの写真はメディアに残っていたが、記事からのリンクが切れていただけだったので、再度挿入し直して対応。また、最近(と言っても7〜8年前から)の写真はiPhoneに保存してあったので、これを使いながら、これらの作業をコツコツと続け、本日どうにか復元が完了した・・・っぽい(汗)

しかし、今回の手動引っ越しのおかげでほぼ全ての記事に目を通すことができた。「思い出のアルバム」のページをめくるように、当時の自分のやっていたことや考えかたを確認し、気恥ずかしいような嬉しいような・・・です。

mixiの頃から結構真面目に書いていたことには妙に感心すると同時に、最近は写真つけて「なんちゃらなう!」「んまし!」などのように文章にならない投稿が増えていることを反省。まぁ、ほとんどがtwitter/Instagram/facebookからのクロスポスト記事なので、仕方ないと言えばそうなんですが・・・ね(汗)

さらに最近の投稿は読書感想文がほとんどと言うのも問題ですねぇ・・・。やはり、もう少しよもやま話等も含めないと・・・です。

それだけ感性が鈍っているってことなんだろうな、と反省し、さっそく投稿するおぢさんなのでありました(笑)。

おぢさんの自由気ままなユルユル日記