さくら、さくら・・・

先週末(4/9-10)辺りが見ごろだったようですが、週明けの月曜からの強い風もあり、あっと言う間に木曜、金曜には結構葉桜になってしまいましたねーーー。

さてさて、今年は色々バタバタした中でも、それなりに楽しめた気がするので、誰に頼まれた訳ではありませんが、おぢさんが散歩中に見つけた桜のショットを公開します(汗)。

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単身生活5年目突入!

4/1(金)に家族が上京し、4/10(日)まで滞在していたから、こうやって独りのんびりと週末を過ごすのは2週間ぶり。まぁ、その前も地震の影響や息子の受験やらで、なかなか落ち着かなかったりしたので、ざっと1ヶ月振りの静かな週末ですか・・・ね。

ふと考えてみると、今月で家族と離れて暮らす、いわゆる「単身生活」も5年目に突入した。ほぼ毎月帰って家族と顔を合せているし、東京では娘が一緒なので、あまり実感はない。でも、沖縄を離れてから満4年なんですよね。ふーん・・・と言う感じ。

毎月帰省しているとは言っても、毎週帰れるわけではない。かと言って、週末に遊んでくれるような付き合いある人はそんなにいないので、ほとんどの週末を独りで過ごしてきた。朝、少し寝坊して、1週間分の洗濯やら掃除やらしても、そんなに時間は潰れないので、散歩や買い物に出かける。寂しい気もしていたけど、なんだかそれが「いつも」であれば、リズムになってしまう。特に調布界隈では、散歩を楽しめる場所が多いので、いつの間にか「趣味」と言えるほど、週末の「楽しみ」になっている。こうなると「独りで過ごす週末」は、辛いものではなくなってしまい、逆に週末は「独り」であることが当然になっている。

もちろん、家族と過ごせる時間は楽しいし、有り難く、かけがえの無いものだと思う。でも、独りもいいよね。。。なーんて感じたりもする(汗)。欲して「独り」の時間を作らなくても、普通に「独り」だし、望めば(月に1回程度は)家族と一緒に週末を過ごすこともできる。なんだか、独りの生活があるから、家族の大切さを感じることができる部分もあると思う。もしかすると、おやぢの身勝手な観点だと「恵まれた生活?」・・・家族に怒られるかな・・・汗

まぁ、と言うわけで娘も出かけたので、本日は「独り」な週末。いつもなら、散歩に出かけたいところだけど、先週末からの「腰痛」が残っているので、無理せずのんびり部屋で過ごすことにした。背骨のヘタリが原因なので、まずは養生して痛みを取り除かないと・・・です。で、さらに、今週は毎日宴会だったので、おとなしく肝臓と財布を休めないと・・・壊れてしまいますからね・・・汗

・・・そうは言いながらも、夕飯の材料は買いださないといけないので、あとでスーパーに行ってみよう!今夜は(も)4年の単身生活で得意料理となったカレーかな?(笑)

 

【読書(3月)】色々あったがどうにか順調か?

3月は大地震あり、会社では4月改組の準備やら、プライベートでは息子っちの大学挑戦ありーの・・・・と、とにかく色々あって落ち着かなかったが、それでも3冊。三ヶ月で12冊のペースだと、年間で48冊。どうにか目標の50冊はまだ見えている(汗)。これって順調なのかしら?

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10. 感情マネジメントがあなたのセールスを変える! 顧客の気持 ちを前向きに動かす営業の秘訣 横井真人 http://books.rakuten.co.jp/rb/6167608/

実は、友人の著書なんです。まぁ、営業の基本と言うより、大人の基本・・・ですかね?特に日ごろパソコンと向かいあう時間が長く、人(誰か)と話すことが少なくなってきたなぁ・・・と感じている方、お薦めですよーーー。

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11. 中原の虹(第一巻) 浅田次郎 http://books.rakuten.co.jp/rb/6725512/

12. 中原の虹(第二巻) 浅田次郎 http://books.rakuten.co.jp/rb/6725513/

す・ご・い・で・す・ねぇーーー。本当に感心、感動します。「蒼穹の昴」「珍妃の井戸」に続く三部作の完結編となる作品ですが、前二作を読んでいることが前提になっていますのでご注意ください。今週には最終巻の第四巻に入れそうです。

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お江戸事情・・・いつもの週末・・・

まぁ、自分の周囲がすなわち「東京」ではないが、どうにか落ち着きを取り戻しつつあるように感じる。

通勤で使う京王線は、朝は通常ダイヤなので込み具合も普通。日中は間引きがあったり、相模原線は各駅停車のみだったりと不便はあるようだが、平日は直接影響を受けることがない。また、肝心のスーパーでは平日が21時までなので、食料品などを買いだすことができないのは困るが、近所のコンビニではおにぎりや弁当、お酒まで手に入るので特に困ることはない。まぁ、外食中心になってしまうが、それは仕方ないでしょう。。。。

特に安心したのは、スーパーでの品揃え。一時は、ラーメンやティッシュ類が棚から消えてしまったが、米も含めボチボチと戻ってきた。まだまだ、品薄な商品もあるが、どうにかおやぢが一人暮らしするには、大きな不便と困ることのない状態になってきたかな?そうそう、昨日(土曜日)は、欲しかったタマゴも手に入った。やったね!

相変わらず地震や原発がニュースを賑わせているが、どうにか普通の生活を普通にできるようになってきたように感じる。おかげで、生活に対する少しの緊張が解けたのか、お約束の散歩に出る気にもなれないほど体がダルくなってしまい、本日はほぼ一日中寝ていたのでありました。これで明日からの平日な日々に備えて、リセットできたはずだ。今、自分に出来ることは、東京に暮らしながら、普通の生活をすること。仕事をし、買い物をすることで、社会に参加して日本の動きを止めないこと。そして、ほんのチョットの贅沢として、お酒を飲むこと・・・かな?

この週末は、久々に布団を干したり、洗濯に掃除と、いつもと変わらない生活。停電もなかったので、ご飯を炊いてカレーを作り、夕べから4連続のカレーです・・・汗。好きだからイイのです!

 

 

テンペストの世界 ~識名園~

先週の三連休に1月以来の帰省。何かと理由をつけて毎月帰っていたので、2ヶ月振りなのは久しぶりかもしれない。諸々のタスクを完了させ、どうにか時間が出来たので今回は琉球王最大の別邸で、世界遺産にも登録されている「識名園」に足を運んできた。

 美ら島物語

テンペストでは、尚育王が何やら人払いをして重大な相談を持ちかける場として、2度登場していますが、その風景についてはあまり触れられていません。。。よね(汗)

正門は現在使われていないので、公園入口として整備された入口から入園する。中では正門から御殿へ通じる道に合流するので、当時寧温が呼び出された理由を考えながら歩いたであろうと思われる石畳を通ることができる。ここの石畳はかなりゴツゴツしているので、ハイヒールだと歩きにくいと思われますので、ご注意を・・・。

左右を林に囲まれた通路の視界が開けた先に、池のほとりに緑の芝生をたたえた「御殿」がある。ここが、王の滞在する場であり、もてなしの場として使われていた建物。思いのほか、質素なものです。ただ、その窓からは沖縄とは思えない世界を見ることができます。

池にかかる石橋を渡り、向こう岸に渡ると六角堂があり、少しの高みからは池を中心とした園を一望することができます。この石橋も、先の石畳と同じく石を積んだだけなので、かなり歩きにくいですよ。実際、ここにいると、季節も場所もわからなくなってしまいます。

首里城から識名園までは2km強と言う距離ですが、実際にはかなりの高低差があるため復路はかなりの上り坂になってしまいます。また、最近は道路整備が進んでいるため、かつては徒歩や駕籠で行き来した路での往訪は難しいかも知れません。実際、今回も車を使いましたが、周囲の道路事情が大きく変わってしまったために、危うく迷うこころでした。事前に場所を再確認してから訪れることをお薦めしますです。

自身も2回目となる識名園ですが「テンペスト」を読んだ後だど、やっぱり違って見えます。これって一種のビョーキだと思いますが、まだまだそれを楽しんでいます。さて、次回帰省はゴールデンウィークかな?今度は、三重城周辺に行ってみようと目論んでいるのでした。

息子っちの挑戦

今週水曜日(23日)の後期合格発表に自身の受験番号を見つけ、念願の合格を果たした息子っち。4月からは横浜で一人暮らしでの大学生活が始まる。「親ばか(≒ばか親)」もこれで卒業かな?(笑)

思い返せば、小学校でサッカーを始めた頃から、自身を「親ばか」と称して応援を続けてきた。喜怒哀楽の空気を共有し、一緒に歩んできた気がする。

昨年のセンター試験では思わぬ失敗をして、残念な結果となってしまった。そのときの悔しさをバネに一年間一生懸命に頑張ってきた成果が、今年の結果に繋がったと思う。まぁ、そうは言いながら、今年のセンター試験においても目標得点を取る事ができず、第一志望校を諦めての挑戦となったのですが・・・ね。で、実際には、前期後期ともに同じ大学の同じ学科へ申し込み。本人からすると、前期で合格する気満々で、後期は「万が一・・・」と考えての作戦?。

塾は当初から「国立だけだとリスクもあるので、私大を5校くらい受験させては・・・」と言われていたが、家計に余裕の無い我が家では「国公立限定!私大はダメ」と言うことで、ほぼ聞く耳持たずの状態。何でも10校受験するケースも多々あるとか・・・受験料だけでもバカにならない・・・と家族で納得していた昨年の12月頃「K大とW大だけは受験させて欲しい」と息子っちからのお願い。余裕は無いが、KとWなら話は別。ここに合格できるものなら、やってくれ!と言うことになり、2月下旬には前期+K+Wでの約10日間の東京受験滞在となった。

一番早いKの受験日二日前に上京し、調布合宿所に入る。日中は近所の図書館やドトールで勉強。Kから数日置いてW、さらに前期試験と言う1週間は、なんとも言えない緊張感が漂っていた。本人は3つともそれなりに手ごたえがあったようで、間違うと?全部合格とか言っていた。本当か!?おい!って感じ。

前期試験の翌日は「上京の機会に部屋をさがすべー」と横浜に向かう。まぁ、結果に関わりなく本人も一緒に見といたほうが良いでしょう・・・と言うこと。で、この日はK大の合格発表。恐る恐るネットで確認すると・・・もちろん無い!「まぁ、しょうがないわな」と楽天親子は横浜で物件を探し、予約までしてしまう。ハハハハ!

沖縄に戻った翌日はW大の発表・・・もちろんダメ。ありゃ、これまた失礼いたしましたぁーーー。と言うことで「てっぱん」であるはずの翌週(3/7)の発表を待つことになった。その間「親ばか」は、ネットや電器店で冷蔵庫や洗濯機、ベッドに布団を物色。さらには、合格発表直後に横浜の不動産屋で契約する態勢を整えていたのでした(汗)。

で、発表の日。外出先で13時の連絡を待った。すると、13時前に携帯にメール。何?息子っちから?・・・ヤナ感じ・・・「落ちた」の一言。何ソレーーーー?一瞬真っ白になる。・・・まぁ、そんな中でもきちんと不動産屋に電話をしてキャンセル連絡したのでした。偉いなぁ・・・当たり前か(汗)

結局「万が一」の状態となった息子もパニック状態だったらしい。「念のため」に続けていた勉強が、いよいよ切羽詰り、あとが無くなってしまったのだから。

後期試験の二日前の3/10に息子っち再上京。さすがに緊張感バリバリな状態。そりゃそうだ・・・と、言っていた翌日の3/11に大地震が襲ってきた。前期試験時には横浜に宿をとったのだが今回は「崖っぷち」を実感させるため特別扱いをせず、不便だが調布から会場に向かわせることにしていた息子っちは部屋で地震を体験した。怖かったらしい。

当日の遅くに、翌日(3/12)に予定されていた後期試験を3/17に延期する旨のアナウンスが大学のホームページから発信された。まぁ、中止にならずに良かったと言う感じ。しかし、それからも地震は続き、息子っちは落ち着かない状態で、きちんと眠れていない模様。帰せるものなら沖縄に帰して、しっかりと勉強させてやりたいと思ったのでした。

週が空けた平日の3/14。恐ろしいほどの通勤ラッシュに見舞われ、ボロボロな状態で帰宅し、娘A,息子っちの3人で食事をしながら、大学のホームページを覗いてみると・・・後期試験中止・・・なんじゃそりゃ!?三人で一気にパニック!何がどうしてどうなって、どうなるの???とにかく意味がわからないから飲みに行くぞ!と居酒屋に出かけたのでありました(!)。その夜も結構揺れた・・・らしい。酔っ払いの父は爆睡してましたとさ・・・汗

頭に???をつけたまま息子っちは、翌日に便を早めて東京を離れたのでした。

で、結局はセンター試験の結果により合否判定なので、勉強しても何してもどうしようもない。これこそ発表を待つしかないということ。前期の慢心を反省し、今回は心静かに待つことにした。

発表日の3/23。落ち着かないような、妙に悟ったような気分。天命を待つと言う感じ。すると、またもや13時頃の発表を前に、携帯に着信履歴が・・・気がつかなかったぞ。と折り返すと「あった、あった」の大歓声!やったね!やったね!天命が下ったんだと言うことで、思わず涙ぐんでしまった。

と言うわけで、ちょっと一味違った息子っちと「ばか親」の挑戦はガッツポーズで終わったでした。

今までは、家族に支えられながら挑戦してきた息子っち。これからは一人前の男として、色々な挑戦をすることになる息子っち。「ばか親」はいつまでも「親ばか」な応援を続けたいと思う。

息子っちが前期試験時に申し込んだ物件について問い合わせたところ、何でも残っているとな。これから横浜まで再度の申し込みに向かう早速の「親ばか」なのでありました。今度はキャンセルはないので大丈夫・・・・なんです(笑)

 

地震・・・そのとき

とにかく怖かった。本当に怖かった。

当社が入居しているのは、東京タワー近くの42階建オフィスビルの13階。そのときも、いつもと変わらぬ平日の昼下がりだった。

「揺れてる?」って誰かが言う。ん?確かに揺れてるみたいな感じ。昨夜のお酒の残りのせいか・・・などと思ったけど、やっぱり揺れてる。確かに揺れている。

「結構大きいみたい」・・・さらに誰かが言う。ほんとだ、まだ揺れている。この時点でもまだ危機感はなく、誰彼と窓際に寄って、周囲の状況を見渡す。

「えっ!」「ぅわぁ~」とあちこちで声があがる。揺れが一気に大きくなり、足元が大きく揺れている。左右とかではなく、回っている感じ、座り込む者、机の下に隠れる者。こりゃまずいかも知れん。

「ドア開けて!」と冷静な上司の指示により、出入り口のドアが開放される。なんだか自分たちが置かれている立場が現実のものなのか、夢の世界なのか、わからなくなっている。確か、危機管理といか言って、研修とかあったよな・・・妙に冷静に思い出したりもする。とりあえず「怖いよ~」とtweetしてもみた。

「ミシミシ・・・」「ギィーッ、ギィーッ・・・」と揺れが大きくなるとともに、ビルが悲鳴をあげる。ブラインドが「ガチャガャ」と音を立てて窓ガラスにぶつかり、移動式のキャビネットも「ガラガラ」と左右に動きお互いにぶつかり合う。さすがに皆窓際から離れ、できるだけ姿勢を低くして様子を伺う。。。テレビで見かける「現場」の状況になった。

「・・・・」。もう声はなく、揺れが収まるのを待つだけ。しかし、一向に揺れは収まる気配をみせず、一層大きく揺れているように感じる。入居しているビルはツインタワーで、窓から見える隣のビルも大きく揺れているのが判る。余計に恐怖心が高まる。この間もビルの「悲鳴」は続く・・・。

「怖かった・・・」とあちこちで安堵の声。3分だったか、5分だった?もしかすると1分だったようにも思える「恐怖」の時間がようやく収まり、皆落ち着きを取り戻す。ビルはまだ揺れているが、これは高層ビルの「共振」だと誰かが言う。確かに聞いたことがある。そうか、そうか・・・と納得するけど、やっぱり怖い。ネットを見ると、東北辺りが震源でとにかくデカイと言う事実を知る。「関東」が震源ではなかったのね・・・ホッ・・・。娘や息子に電話(携帯)するが、既に繋がらない状況。あれっ・・・・大丈夫かな?

「&!%$#’)=}*+{・・・」。なんかスピーカーでアナウンスしているけど、良く聞き取れない。何?避難?エレベーター使えないよね?仕事は?・・・・なんて皆がざわついていると・・・

「また揺れてる!」「えーー!?」「ウソー!」と声が上がる。二回目は一回目の恐怖が残っているせいか、ビルの共振が影響か、いきなり大きく揺れたように感じた。もう、窓際に寄る者も「立っていれば感じないよ」と言う者もなく、皆一様に姿勢を低くして「怖い・・・」とつぶやくだけ・・・。この時点では、立ってはいられない状態。

13階とは言え、このときは足が地面から遠く離れていることを実感した。ビルが折れるんじゃないか?天井が崩れ落ちたらどうしよう・・・。もしかしたら、もうダメ?と恐怖の次は、おぼろげに「死」を意識する。特にビルがゆっくりと大きく揺れているので、恐怖もそのスピードと大きさに合せて高まっていく感じです。

どうにか揺れが収まり始め、皆の姿勢が高くなった頃、誰ともなく「避難」と言い出し、その声に呼応するように、ゾロゾロと動き始める。揺れが収まった安堵のせいか、パニック状態もなく「怖かった」と口々に言いながら、冷静に階段でロビーを目指す。携帯、メールと色々と家族とのコンタクトを試みるが、全てダメ。携帯は、まったく使い物にならない状態。

ロビー(2階)は既に多くの人で込み合っているが、緊張感はあまりない。しばらくロビーで待機ののち、ゾロゾロと近くの公園に避難する。

携帯は全く役に立たないが、twitter、Facebookは3G環境でもちゃんと機能していた。そこから、ある程度の情報を知り、同僚のワンセグで被害の甚大さを知る。都内では大きな被害が出ていない様子なので、連絡の取れない娘、息子も大丈夫に違いない・・・と確信する・・・しかないですからね。

娘、息子と連絡が取れたのは避難命令が解除され、事務所に戻った16時過ぎだったかな?どうにか繋がり始めたところで、ようやく・・・と言う感じ。もちろん、外出中の会社同僚も同じ頃に安否確認が取れ、会社として落ち着きを取り戻した。まぁ、直接的に被害が無かったことに皆一安心。。。

事務所に戻ってからは、皆自宅や実家、親戚、知人の安否を気遣い連絡を取ろうとするが、これまた全く繋がらず、ネットの情報を見て心配がさらに高まる。沖縄に無事を知らせようにも、携帯が繋がらないことにはどうにもならず、こちらは18時くらいにようやく知らせることができた次第。心配してますよね。。。そりゃ。

皆一様に落ち着きを取り戻した後は、帰宅問題。なにせ、首都圏でも電車が止まったままなので、多くの従業員は「帰宅困難」な状態・もちろん私も・・・。会社からは、非常食の「乾パン=缶入りパン」とクラッカーが支給され、間接的に「篭城」が指示される。心ある上司からは、カップラーメンが振舞われ、既に会社で夜を明かすことを決めた人達は、何となく合宿気分。私は、21時頃に行き着けの居酒屋に出かけ、そのまま朝を迎え無事翌日の電車で帰り着くことができたのでした(汗)。

娘は、日中に新宿のアルタ前広場で地震に遭遇し、二回目の揺れのときには、大画面で写し出される映像を見ながら、沸き起こる地響きと大きな揺れの恐怖を体験した。その後は、電車が止まったので調布に帰宅できず、そのまま新宿のバイト先(居酒屋)に出勤し、幸いにも深夜に運転を再開した京王線で帰宅できたとのこと。

受験のために上京していた息子は、部屋で歯磨き中で、慌てて受験票と筆記用具を鞄に詰め込み部屋を飛び出したらしい。部屋に戻るも、度重なる強い揺れの度に、帰宅した娘と一緒に何度も部屋を出ることになり、ほぼ徹夜だったとか・・・。

・・・と言うわけで、調布の我が家では幸いに被害もなく、無事なのでありました。

今回の地震発生からの時間経過の中で、最も強く感じたことは・・・

・正確な最新な情報=確かな事実だけが即時に欲しい

・緊急時連絡体制は機能しない=いつもやっていることしかできない

twitterでも、簡単に誰かのtweetをRTする人が多く見られますが、RTの際にも情報に責任をもって欲しいものです。単純に「これは役に立ちそうだ」程度だと、混乱を招くこともあります。ちなみに、当日の電車の運航についても「今日は全ての電車は再開しない」と断言する同僚がおり、その一言で帰宅を諦めた人もいます。実際には、21時頃から順次再開したので、結果「嘘」だったわけです。確かに、一部の路線では早々と復旧しない旨の情報を出していましたが、それは「全て」ではなかったはず。それを勝手に解釈して「全て」だと言い切ってしまう・・・これはダメですね。情報は「早く&正しく」であるべきで、そこに事実以外がくっついてしまうと「嘘」となり、情報として活用できなくなります。まぁ、受け取る側も情報を鵜呑みにせず、評価するという基本動作を忘れちゃいけませんがね。。。同じ玉石混同の情報の中から、自分に有用な情報を取捨選択すると言う行為が必要だとしても、カオスだとそうでないのとは、労力が違いますから。

また、当社も緊急連絡体制を作っていますが、その基本が携帯電話を使うことになっているため、今回は全く機能しませんでした(まぁ、いまどき携帯をベースとする体制を作ること自体???ですがね。。。)。緊急時に発動する機能を作るのではなく、緊急時にも使える機能を設計すべきだと言うことを強く感じました。つまり、普段やっていることが、緊急時にも使えるという発想です。具体的に、今回はtwitter, facebook, mixiなどのSNS系は機能していたことが判っていますので、これを使うことを考えています。なので、今後は家族間の通常連絡は全てtwitterにしようと考えています。家族で相互にフォローしておけば良いわけですよね。。。これから家族間連絡用のアカウントを作ります(マルチアカウント対応のアプリがmustですね・・・汗)。

東京(調布)はいつもの週末です。金曜日の夜に恐怖で眠ることができなかった、娘と息子はまだzzz・・です。彼らの今後の人生において今回体験したことがどのように影響するかは判りませんが、少なくとも身をもって知った恐怖と、それが引き起こした悲劇を結びつけることができたと思いますので「他人の痛み」を感じることができる人間になってくれるものと期待しています。

今回の地震で被害がなかったのは、ほんとうに幸いだったと思う。被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。

#あっ、また揺れた。。。携帯の地震速報は頻繁に鳴っています

【読書(2月)】快調なペースだ!

今月は5冊、快調だ。まぁ「蒼穹の昴」は二度目と言うこともあり、ペースが速かった感もあるが、そこはヨシとしてきちんとカウントする(汗)。しかし、長編を二回読んだのは「白い巨塔(山崎豊子)」以来だけど、今回は二回目にして初めてストーリーの全編を知ることができたという感じです。そうなると「一回目は活字を追っていただけかい?」と言われそうですが、もしかするとそうなのかも知れない・・・と思えるほど、深く感じ入ってしまいました。まぁ、舞台が中国の清朝末期の混乱期であったので「テンペスト」の世界と似通っていたことも、二度目を楽しくさせた要素だったかも知れませんね。。。笑

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5. 蒼穹の昴(1) 浅田次郎

6. 蒼穹の昴(2) 浅田次郎

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7. 運命の人(4) 山崎豊子

読み終えた勢いのままに、こちらは先ににブログに投稿しました。素晴らしい作品だと思います。沖縄のこと、もっともっと勉強せんといかんです。

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8. 蒼穹の昴(3) 浅田次郎

9. 蒼穹の昴(4) 浅田次郎

昨年読んだ時点では「中国の歴史を描いた素晴らしい作品」として読了しました。今回、再度読んでみると、歴史だけではなく個々の登場人物の個性が見事に描かれている人間ドラマですね。素晴らしい・・・の一言です。先月読んだ「珍妃の井戸」から戻って読んだおかげで、作品の中に色々と新しい発見や気づきがありました。こうなるともう一度「珍妃の井戸」を読まないといけない。。。です。ちょっと拾い読みしてみよう。。。

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【読書】運命の人

「テンペスト」から続く沖縄シリーズ。こちらは(自分にとっては)歴史ではなく、記憶の世界である1970年代から2000年までの沖縄が舞台となった作品で、登場する人物や場所が実在するため、フィクションと言いながらリアリティ溢れる内容になっています。

「運命の人」特設サイト

全四巻の大作にも関わらずサラサラと読め進められたのは、山崎豊子のタッチの良さと、作品に登場するひとつひとつのエピソードが身近なものだったからかも知れません。また、主人公が父と同じ新聞記者であったことも、楽しめた要素だったと思います。

(ここからはちょっとネタばれになりますが・・・)

一巻から三巻までは法廷闘争の色合いが濃く、「白い巨塔」を思い出しました。正直、このあたりでは「もう少し沖縄を描いてくれよーー」と、ちょっと残念に感じていましたが、遅れて届いた第四巻、これにはやられました。

両親から語られてきた「沖縄戦の悲惨さ」については、それなりに理解してきたつもりだったのですが、その後の米統治下での「圧政」については、子供だったので肌で感じることが少なかったせいか、日常化していたせいか、良く理解していませんでした。まぁ、勉強不足と言えば、その通りなんですがね。。。。汗。この作品は、そんな自分に、日米の「両国」から都合良く扱われてきた沖縄の悲劇の歴史(近世)を、改めて教えてくれました。特に、この作品に登場する事実は歴史の中ではなく「今日も続いている」と言うことを再認識させられました。

基地が存在することは現実であり、ある意味「当たり前」の状態なのが現在までの沖縄。フェンス1枚隔てた「そこ」は、沖縄でも日本でもない「アメリカ」。子供のころにドルで小遣いをもらい、近所の商店でアメリカ産の甘いお菓子を買っていたことも「当たり前」だったんですから。。。。また多くの人が基地の中で働いており、実際、母もその一人でした。

復帰の意味は良く判っていなかったけど、住所に「沖縄県」と書けるようになったことを喜んだ記憶があります。テレビで見る「日本」と当時の「沖縄」は、言葉も服装も同じで、学校で習うことも同じだったので、自分にとっては「ドル」が「円」に変わったことくらいが大きな「変化」でした。

復帰から6年経った1978年に、車の通行が右側から左側に変わったことで、外見上は完全に「日本」となりました。当時の自家用車も左ハンドルのカローラで、メーターもマイル表示。まぁ、当時の沖縄だと「普通」ですね(笑)。免許を取った頃は既に左側通行に変わっていましたが、時折この車を運転していたことを思い出しました。

また、ドライブインと言う自動車で入れるレストランがあって、注文した料理(ハンバーガーだったかな?・・・)を、駐車した車の窓へスタッフがセットしてくれたトレーに置いて車内で食べたりもしたなぁ。。。

などなどと思い出すだけでも、貴重な経験をしてきたように思える。もちろんのことだけど、自分らより10歳くらい若い世代だと判らないだろう。。。

子供として肌で感じた統治下の沖縄は、そんなに悪いものではなかったように記憶しているが、実際には多くの事件や問題が発生していたことを忘れてはならないと思う。そして、我々の世代がもっと学び、伝えていかなければならない事がたくさんあることをこの作品は教えてくれた。

薩摩から明治政府、そして日本政府からアメリカへと移り変わる歴史の中で翻弄され続けてきた沖縄。今また、基地問題や尖閣諸島問題を通して、日米中国が囲むテーブルの真ん中で「カード」として扱われているように感じる。そんな混沌とした時代だからこそ、もう一度沖縄について考える必要があると思う。

「テンペスト」「琉球処分」そして「運命の人」。学ぶことを教えてくれた、素晴らしい本に出合えたことに感謝したい。そして、舞台となった場所にできるだけ多く足を運び、歴史や過去に起こった事実を肌で感じ、自分なりの歴史感、世界観を持てるようになりたいと思う。そして、美しい歴史を持つ「琉球」であり続けられるように、何らか尽力したいと思うのでありました。

おぢさんの自由気ままなユルユル日記