「テンペスト」に感化され、とうとう年間パスポートを購入し、帰省時には散歩がてら必ず登城する首里城。小説の舞台で見つけたテンペストな世界をトップページにしました。撮りためた写真を含めて、気ままに更新しますのでお楽しみに。。。
*2011/6/25 久々に首里城に行ってきました
天気の良い日でしたが、正殿前に人がいませんでした。
正殿二階の裏手にある「おせんみこちゃ」。ここは祈りをささげる神聖な場所で、正殿の中で唯一女性が出入りできた場所です(判りづらいですね。。。)。まだ復元されていませんが、ここの横に御内原に続く空中回廊があり、寧温が大勢戸部と争っていました。
首里城の入口、歓会門です。
有名な守礼門。
*2011/3/27 識名園を追加しました
琉球王の最大の別邸、識名園
首里城から南に2~3km程離れた場所にあります。寧温が尚育王に呼び出された場所です。
御内原の出入り口(通用門)として使われた継世門
観光コースとはちょっと離れた首里城の東側にあります。中の御内原の復元が終わっていないので、中には入れません。一日も早くテンペストの「女の世界」を覗いてみたいものです。
龍樋(りゅうひ)
瑞泉門に登る石段の右側にあり、龍の口から水が湧き出しています。学生時代から残っており、当時は気軽に美味しく飲んでいたように覚えています。ちなみに、右の写真は、沖縄の銘酒泡盛の有名ブランドのひとつ「瑞泉」本社。継世門から程近いところに位置しています。。。あまり関係ないか・・・汗
漆の塗り替え工事が終わり、すっかり綺麗になった首里城正殿
朝拝御規式(1月)
孫寧温や喜舎場朝薫も並んで拝謁したんでしょうね
冊封儀式(11月)
この儀式の模様は「テンペスト」でも描かれてます
下之御庭で披露される伝統芸能
嗣勇が「花当」として踊り、冊封使を喜ばせたのはこんな舞台?
(踊りの種類によっては、演じられていなかったもののあるはずですので。。。)
鎖之間で楽しめる伝統菓子とさんぴん茶
真美那が作ったお菓子を楽しめます。また「鎖之間」は徐丁垓が若き尚泰王をあやしたり、雅博が王への面会を待ち合わせた場所です。
聞得大君が治めた「京の 内」
テンペストには度々登場し、龍が降りてきた場所です。
西のアザナから見る那覇の街
多嘉良が息子と眺めた光景だったかも知れません。ここから見える那覇は「トロイメライ」の舞台です。
万国津梁の灯火(11月)
その他のスナップ
(当時)普段は閉ざされていて、工事 用部材の搬入などの際に開かれたという木挽き
木挽門を入ったすぐ右手にある二つの記念碑。
・首里城跡(戦後、首里城跡地に琉球大学が設立されたため)
・琉球大学跡(1986年頃に琉球大学が現キャンパスへ移転したため)
こんにちは(^-^)
またまた訪ねてしまいました!
塗り替え工事終わったのですね☆
私もテンペスト&トロイメライに感化されてしまい
何度も行った事のある首里城なのに
「今すぐに行きたい」沖縄の場所のひとつです。
舞台よりこちらのshinzatoさんの記事の方が
よほどテンペストの世界に浸れました。
踊りに関してなのですが、もしお分かりでしたらお教え下さい。
舞台で真鶴が踊っていたのって「クイチャー」ではなかったですか?
八重山でクイチャー??と疑問に思ってしまったのですが・・・。
私の勘違いでしたらすみません。。。
腑に落ちない事ばかりでしたので。
今回も長々と失礼致しました。
こんにちは。あまり踊りのことは(も?)良く判りませんが、クイチャーではなかったと思います。おそらく八重山の民謡だと思いますが。。。ってな感じです、ごめんなさいです。ただ、池上永一さんは石垣の伝統、文化を大切にされているようですので(「風車祭」の個人的感想から)、ココは間違いないでしょう。
http://www.churashima.net/people/ikegami/kajimaya/
で、ちょっとググってみました。↓でしたかね?実は、唄もよく覚えてないもんで・・・汗
http://www.youtube.com/watch?v=GPud4dS6ESk
※補足です。
かぎやで風ではなくて八重山に流刑になった時
輪になって踊っていた踊りです。。。